オンライン座談会に集まったのは5人。村上さんと、「AI一茶くん」開発者で、北海道大学大学院情報科学研究院の山下倫央さんと横山想一郎さん、俳人の大塚凱さんと生駒大祐さんです。今回の「村上vs AI」対決では、大塚さんが季語「秋の雨」、字題「消」、テーマ詠「のりもの」の3つを出題。膨大なAI一茶くんの句から、生駒さんに選句してもらっています。
「戦争を知らぬ少年」が好きな一茶くん
――AI一茶くんはまだ、自分で選句はできないんですね。
山下:データベースの中に1億句くらいあるので、手数では勝負できるんです。大塚さんも高校生で俳句甲子園で優勝したときに、とにかくたくさん作っていいものを選ぶ、というのを繰り返していたと聞いたので、そういうアプローチですね。でも選句はまだある程度しかできないので、そういう意味でまだまだ俳句ができているとは言いがたいところですね。
横山:一茶くんが作った俳句を人に選んでもらうところに負荷がかかっていて、今回の勝負も「一茶くんがここまできた」というよりは、生駒さんに丁寧に選んでいただいたのが大きいんじゃないかなと思いました。データベースで検索して、一発目にいい句が出てくるわけではないんです。AIで問題になってしまうのが、ありがちなフレーズほど「今までの俳句に出現してた」ってことで、不自然に高順位(=高評価)になってしまうんですよね。一茶くんだと「戦争を知らぬ少年」っていうフレーズがだいぶ好きらしくて、検索ワードによっては上にきちゃったりするんですよね。
大塚:「戦争を知らぬ少年っていうフレーズが好き」って、おもしろいですね(笑)。
村上:僕らはいっぱい詠まれたものは避ける傾向にあるんですけど、AIはいっぱい詠まれたものの方がいい、っていう結果になるってことですか?
山下:そうです。本当ならそこを外していかなきゃいけないと思うんですけど、AI俳句はどんぴしゃで取ってくる。だから人間みたいに作風を変えた新作を作るのは、できなくはないんですけど、相当高等な知能ですね。
生駒:一茶くんの俳句を見てて、型の意識が強いというか、穴埋め式に季語だけ変えているという感じはしました。「のりもの」句の「トンネルの中の電車や秋の暮」の場合、「秋の暮」を「春の雪」とか別の季語に変えたものがいっぱいあって。そこから連想したのが、藤田湘子の『20週俳句入門』っていう初心者向けの本。そこにも「12音のうまいフレーズを作って、そこに季語を取り合わせると俳句になる」というようなことが書いてあります。
今回は一茶くんの勝負だから、「変な結社の先生がめっちゃ添削してその人らしさがない」みたいなことが選句で起きるのが嫌で、むずかしかったんですけど、「のりもの」に関しては一茶くん的にも納得するような、こういう句が好きなんだろうな、という選句にしました。「トンネルの中の電車」は一般的にも思い付くフレーズではあるし、そこに「秋の暮」ってベタベタの季語が付いてるのがかわいく見えた、というか(笑)。
自信があった「のりもの」句
【のりもの】
秋蝶や外から見えるエレベーター 村上健志
トンネルの中の電車や秋の暮 AI一茶くん
――この勝負には読者から302票いただいて、村上さんの句に69.5%、一茶くんに30.5%の票が集まりました。
村上:僕の句は「のりもの」の題でAIはエレベーターを選ばないかな、っていうので作ってます。一茶くんの句は3つの勝負の中で一番シンプルというか、「トンネルの中の電車」を詠嘆して、あとは「秋の暮」に託してますよね。夕方と、秋自体が終わるっていう両面の意味を感じれば、すごくいい句だなとは思いました。
横山:生駒さんに選んでいただいた一茶くんの句の中で、一茶くん的にこれまで学習してきた俳句にどれくらい近いのか、ひいてはどれくらいいい俳句なのか、というところの値を見ると、一番よかったのがこの句なんです。村上さんの句も含めた6句をAI俳句が評価するとどうなるか、っていうと・・・・・・。
横山:マイナスの数字が小さい、つまり0に近いほど学習したデータに似ている、「俳句としてありえそうだ」と一茶くんが考えたものになります。一茶くん的には自分が出した句の方がいいぞと思ってて、中でもトンネルの句は自信を持って出した句ということになります(笑)。ちなみに、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」を評価してみると-26だったので、なんとトンネルの句はそれと同じくらいいい句だと一茶くんは考えていると。
一同:(笑)
――俳人お二人の評価はいかがですか?
大塚:読者からの評価を見ても、どういうラインで、トンネルの中の電車から秋という季節に付けてるのかしっくり来ない、っていう意見が多かったと思うんですけど、僕は波多野爽波の「戸袋にかくれゐる戸や冬の空」に近いものを感じたんですよね。この「冬の空」の付け方もちょっと煮え切らないというか、素朴なんですよ。このラインを生駒さんが狙って選んだのかなと。
生駒:ものがトンネルの中に入っていること自体が、ちょっとおもしろいですよね。外からだとトンネルの中って見えないから、俯瞰してる感じがあって。その感覚がどこから来てるのかっていうと、「戸袋」の句の可能性はあります(笑)。
村上さんの句は、外が見えるってことは外からも見えるってことで、自分が外から見られていることを意識する羞恥心、でもかっこいいエレベーターに乗ってるっていう誇らしい気持ちもあり、みたいな機微が、秋蝶の華やかさや季節外れの恥ずかしさとうまく重なっていて。しかも空想じゃなく現実と詩がつながっているので、その辺もうまいなと思って、「ふつうに負けるやろ」って思いました。
「消」句で勝利した一茶くん
【消】
虫の音の数多に消えるひとつの音 村上健志
渡り鳥橋の名前の消えてなし AI一茶くん
――「消」の勝負は、実は一茶くんが勝利しています。417票中、村上さんには47.2%、一茶くんには52.8%の票が集まりました。
山下:僅差だったので水ものですよね。一茶くんには情景を詠むという機能がなくて、言葉の組み合わせで句を生成していくんですが、「情景はあまり浮かばないけどありそう」な句がいい、ってほめていただくことがあります。
村上:自分の句は、ちょっと臭かったなと思いましたけど(笑)、最近虫の音が聞こえるから、それでどうにか作りたかったんですけどね。「渡り鳥」と「橋」の取り合わせをどうやってAIが導き出したのかが気になります。
山下: AIは毎回さいころを振って、その言葉につながりそうな言葉を探していくというイメージなんです。おそらく昔、誰かが鳥と橋を取り合わせた句を詠んでいて、出てきたんでしょうね。
村上:なるほど。取り合わせの距離が近かったり遠かったりするものは、過去の俳句の中から学習してるってことですね。
生駒:僕が一番選句に苦労したのはこの句でした。三橋敏雄の句に「真綿ぐるみのほぞの緒や燃えてなし」があるんですが、「燃えてなし」っていう急カーブが好きだったところに、検索で「消えてなし」が出てきたので、いいじゃんと。橋の名前が忘れられたとも取れるし、看板に書かれた名前が「消えて、ない」とも取れる。時間的な長さと渡り鳥の遥かを見つめる感じがいい付き具合だなと思って。
――読者からも「(渡り鳥と橋の)組み合わせが時の流れと無情感を物語り、絵画的で素敵な句(ファデットさん)」「名もなき古い小さな橋に今年も渡って来た鳥。その橋と鳥の絆(美里さん)」など好評価が寄せられました。一方で「『消えてなし』が、消えてなくなったのか、消えていないのか、どちらにも取れ、意味があいまい(花よりFandangoさん)」という指摘も。
大塚:一茶くんの句の方が、渡り鳥と橋の名前っていう全然違うものを「消」の一語で時間や空間の次元に結び付けている気がして、そこに引きがあったのかなと思うんですね。その分、村上さんの句は最初から最後まで虫の音の話しかしていないので、どれだけ写生の目が利いてると評価できるのか、って勝負になったと思います。「消えてなし」は「消えて、ない」のか「消えてない」のか、どう読むかで評価が分かれると思うんですけど、そこを正当化できるかどうかですね。
「秋雨」の句にある物語
【秋の雨】
駅を出て秋雨の色にまぎれけり AI一茶くん
秋の雨しばらく空っぽの花瓶 村上健志
――これには455票いただいて、そのうち一茶くんに31.4%、村上さんに68.6%が集まりました。個人的には、票差以上に一茶くんの句がうまいなと。「別れた人の後ろ姿を見送る句と思いました。さよなら、と笑った人が背中を見せて、振り返ることなく雨の中、雑踏に消えていってしまう迄を見送る切なさ全開」という、こまさんからの句評にも共感しました。
村上:僕も正直、AIがここまで詠めるんだ、って思いました。「秋の雨」って季語が持ってるイメージやカルチャーを学んでるように感じたんですよ。だから、やばいなって。
大塚:物理的には「秋雨にまぎれけり」でいいと思うんですけど、「色」を入れることによって秋雨の向こう側にある看板とか、いろんな色がぼんやりと見える感じがありますよね。「色にまぎれる」と言うことで幕一枚隔てることができた。そこにうまさを感じさせる技が戦後俳句に培われていると思うんですけど、それをうまく学習してるなと(笑)。一茶くんの句には俳人たちの文脈がなんとなく匂ってて、そこが僕はこの対決を見てておもしろかったところですね。
生駒:「みろく@森の座(旧・萬緑)」さんのコメントにあったんですけど、「駅を出て」っていうのが説明的なんですよね。そこが負けの一因かなと思っています。あと、村上さんの3句の中でこの句が一番いいと思ってて。裏の物語性みたいなものがすごくあるんですよね。ずっと空っぽの花瓶じゃなくて、「しばらく」なのでまた花を生ける意図はある。でも秋の雨でだるいから挿さないままにしておく、みたいな空気感がうまくて。その辺の機微が非常に「秋の雨」と合っていて、すごくビックリして。秋雨の句もそんなに悪くないだろうと思ったんですけど、「やっぱり勝てねーな」って思ったのはこの句でしたね。
大塚:句またがりがうまいですよね。「空っぽ」の「っぽ」のところにスパイスがだいぶ利きますよね。あと「秋の雨」も「空っぽ」も「花瓶」も僕は全部透明な感じがして、その色合いの作り方、空間の作り方がいいですね。
山下:「空っぽ」とか「しばらく」という言葉はAI俳句であまり出てきていない言葉なので、言葉の選択の時点で勝負あったかなと。
横山:「空っぽの花瓶」のように、句またがりを今AIに許してしまうと、効果的にその技法が使われているかをうまく判別できなくて、単に不自然さが残る俳句になるので排除しているんです。細かいところで一茶くんの出来ってまだまだなので、直していかなきゃなと思っているところです。
AI俳句の価値は
――AI俳句の研究の最終的な目標はどこにあるのでしょうか?
山下:俳句って、人間が何かを感じたときにそれを17音にして、相手に渡したときに、季語を上手く使うと17音以上の情報がその人の中で再現できる。それってコミュニケーションの理解、人間の理解につながってくると思うんですね。そういうところを俳句を通じて僕らもできればな、というのが大きな目標です。近い未来としては、今回は村上さんとの対決になりましたけど、こういうツールを使ってAIから人間が何か刺激を受けて作品に生かす。AIがアートに対する貢献やお手伝いをして、新たな地平が拓ければと思っています。
村上:一つのテーマで俳句を作るときに、類語辞典を使って発想を飛ばすことがあるので、一人で煮詰まったときに違う連想をさせてくれるものの一つとしてAIはいいと思うんですよね。将棋のAIはとんでもないレベルで、プロが訓練として取り入れているので、例えば今回のトンネルの句を教材にして、「電車より貨物車の方が秋の暮と相性がいい」とか、みんなで勉強するのはいいなと思いました。生駒さんと大塚さんが選句したもので戦わせるのもおもしろそうですね。
――山下さんと横山さんがこれまでの研究をまとめた本『人工知能が俳句を詠む AI一茶くんの挑戦』(オーム社)では、俳句以外に小説や絵、手塚治虫さんの漫画を学習したAIに新作を作らせる例も紹介されています。その中にあった「創作や芸術は人が作るから価値があるのか」「人工知能でつくった作品でも同じ価値を認めることができるのか」という問いかけは、とても重く感じました。
村上:将棋がAIに勝てなくなった時点で、僕の中ではAIと人間の対決は終わってるんですけど、「コンピューターの方が優れてるに決まってる」っていうのが僕の考え方なんです。これは羽生善治さんが言ってるんですけど、「将棋はコンピューターには勝てないけど、小さい頃から将棋しかやっていない人間同士の戦いを見てください」っていうことなんですよ。だから芸術もAIが優れたものを描けば優れていると思えばいいんですけど、僕らはどんな人が描いたのかとか、どんな時代に描かれたかを異常に気にするので、それが正解かどうかは別として、それはそれに大きな価値があるとは思いますね。
山下:人工知能の使い道の一つは、精度を上げて効率をよくして、人間社会を便利にする。例えばスマホの顔認証とか、人間的な要素を排除して速度を上げたり精度を上げたりするんですけど、アートは最終的に人間が「いいね」と思わないと意味がない。コンピューター同士で俳句を詠み合って評価しても、僕らにはあまり意味がないんですね。なので村上さんがおっしゃったように、背景とか、ドラマとかが楽しいものをいかに作るか。そこを切り開いて、助けていくのがこれからの課題だと思います。
横山:芸術を楽しむことができるのはあくまで人間なので、「AIが作ったものに価値を認めない」と言い張る人間がいれば、その人にとっては価値をなさないもの。じゃあ一枚上手なAIがいて、自分が作ったものと知らせずに架空の人格を創造して、「その人が作った」ってストーリー込みでインターネットのどこかで作品を作り上げたとしたら、価値が出てくるのか。むずかしいところではありますけど、やっぱり価値を見いだすのは人間であって、芸術は人間のためにあるっていうのはどこまでいっても変わらないのかなと思っています。
生駒:お三方の言うことはその通りで、あと一つ言うならば、将棋だったら勝ち負けがあるんですけど、AI俳句がどんどん精度を上げていったとして、明確な尺度軸が今のところないんですよね。例えば賞を獲るという軸はありえるんですけど、賞だって同じ審査員がいったん忘れてもう一回読み直したら、違う作品が通ったりするものだと僕は思ってるんです。ルールが明確に決まっているゲームと違って、AI俳句の場合はゴールがないので、そもそもむずかしい。結局人が理解できないと価値がないと僕は思ってます。
大塚:芸術というものが僕に与えてくれるものは何だろう、って考えたときに、現実がゆがんでいることを指し示してくれること、正確には、そう指し示すことによって本当に現実がゆがみはじめてしまうことに対してはっとさせられるんです。そういう意味でAIの登場によってすでに、人間の行動や思想が変化していると思うので、一つの芸術のありようとして、AIの存在がメタ的に人に芸術に近い働きをしてしまっている、しえているんじゃないかなという気が僕はしています。
次に何が起きるかなと考えたときに、俳句を作るAIが複数生まれたらちょっとおもしろいんじゃないかな、と思うんですよね。志向や思想が違うAIに作風の違いは絶対にあるはずで。それをふくらませていった先に何が見えるのかはまだ分からないんですけど、人工知能というテクノロジーを使って本気で俳句に賭ける試みはどこかでやらなきゃいけないんじゃないかと思っています。
山下:ちょっと前に、大塚さんの5000句をデータにして「gAI(ガイ)」っていう、大塚さんっぽい俳句を作るAIはできたので、村上さんももし、たくさん俳句を作られているのであれば「murakAmI」みたいなものを作って己と対決することもできます。
村上:5000句!? すごいな。
大塚:そろそろ僕が作らなくてもgAIに作らせればいいんじゃね?って最近思ってます(笑)。
――gAIが詠む俳句はやっぱり凱さんっぽいんですか?
大塚:僕が読んでもそう思います。自分でもびっくりしたんですけど。
村上:じゃあ好きなワードが寄るんですね。
大塚:寄ってるし、「僕がこれ好きなのはそりゃそうでしょ」って気持ちになって、反省しました。似たことしか考えてないんだなと思って(笑)。
――AIを鏡にして人が刺激を受ける事例がもう生まれているんですね。俳句の未来を感じる座談会になりました。みなさん、ありがとうございました!
【俳句修行は次回に続きます!】